荒脛巾神社

宮城県大崎市・荒脛巾神社 小さくかよわき私たち

荒脛巾神社

〒989-6404 宮城県大崎市岩出山下一栗荒脛巾164 JR東日本陸羽東線 上野目駅徒歩5分

日本、〒989-6404 宮城県大崎市岩出山下一栗荒脛巾164

 謎の神と言われるアラハバキだが、ここでは荒脛巾として祀られている。JR東日本陸羽東線の上野目駅からは徒歩5分ほど、国道108号沿いから見えるが高架になっているので、脇から降りて細い道に入ればすぐ目の前だ。低い山を背景にして美しい田んぼの中にある社からは、歴史と地域の人々の信仰心を感じることができる。社は扉を開けて中で祈る形式になっていて、多くの人からの供え物や願いを書いた紙などが置かれていた。

 その中でも一際目を惹かれたのが、真ん中に置かれた蛸だ。近くにある南三陸町ではミズダコが捕れるが、そのせいなのか地域的なものなのか調べたのだが、仙台の蛸薬師堂くらいしか出てこなかった。おいしい蛸が手に入ったので神さまにも食べてもらおうとしたと考えると、荒脛巾神社は地元の方たちにとってとても身近な神の場所なのだろう。

堀谷アラハバキ神社
荒脛巾神社

 アラハバキは荒脛巾、荒覇吐、荒吐などと表記され、はっきりとした起源がわからない神だ。逆に言えば、大和朝廷が祀ってきた神々に入っていなかったことでそれ以外の神であること、大和朝廷以前からの神であることが推測できる神だということになる。埼玉の氷川神社には現在客人神として祀られている門客人神社があるが、元々は荒脛巾神社と呼ばれていたという。氷川神社の祭神である素戔嗚尊も純粋な…最初から大和朝廷の神だったかどうかは怪しいところなので、この辺りの関係も気になるところだ。

 民俗学者の吉野裕子は「ハバキ」は蛇の古語である「ハハ」と「木」の組み合わせであり、「蛇木」「竜木」だったのだという。直立する樹木を蛇に見立てた蛇神説だ。吉野氏は「土地の守護神は、エジプトやその他の例でも、蛇神であって、聖域の外側に鎮祭される」と書いているが、試しに「アラハバキ」の音を拾ってヒエログリフで読んでみたところ、「(誰かを)追い払うためにその場所・その人に送られた神の力、スピリット」と訳せてしまった。ちなみにアラビア語では「神のお恵みがありますように」や「神はあなたを愛しています」などになる。

 ほかにも塞の神説(朝廷が蝦夷から多賀城を守るために建てたという説)があるが、土地の神だという観点では吉野氏の説と一部重なるだろう。また製鉄神だという説(門客人神はたたらの人たちのように片目をつぶった像であることが多く、氷川神社は出雲から発していること、氷川神社の祭祀は製鉄に関わりの深い物部氏からの流れであったことから)や聖徳太子との関連に言及した説がある。後者二つの説は縄文人からの流れだったと言われる物部氏がポイントになっているところに共通点がある。

 社の後ろには大きな木があり、蛇神説を後押しするかのように細い枝がうねりながら巻きついている。日本人はそもそも単一民族ではなく、シュメール・古代エジプトや古代ユダヤ、古代インドのドラヴィダの系統、中国・朝鮮の系統、元々日本列島にいた人々(縄文人)などが複雑に権力を奪い合いながら現在に至っている。その歴史の中で起源が謎になってしまった神とされているアラハバキやミシャグジだが、今でも人々はその神々を大切に思い、敬意を持って暮らしている。小さくかよわき私たち人間は、その悠久の中を漂うひととき、神々とともに在るのだろう。

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