泊まってはいけない四国のホテル

泊まってはいけない四国のホテル

 この話は四国にてあるお遍路さんから聞いた話です。私が四度加行(しどけぎょう)を終えて得度をしたのは5年前。得度を終えて師僧にご挨拶に行くと「今すぐお遍路さんするといいよ!経験と功徳が積めるから!」と軽いノリで勧められ、四国のお遍路、正しくは四国八十八箇所巡礼をすることになりました。全ての行程を歩くのは歩き遍路、修業にはもってこいなのですが宿泊費や食費も当然かかります。電車やバスを併用して回りましたが、それでも迷子になったり獣道を行くなかなかに厳しい道のりです。

 ある日突然の雷雨にたたられました。叩きつけるような豪雨と雷、こりゃたまらんとプレハブ小屋、通称遍路小屋に逃げ込みました。遍路道にはこういったお遍路さんが自由に休める小屋が点在します。お世辞にもキレイとはいいがたい小屋には農耕器具などが積んであり、片隅にムシロが敷いてあったので少し休ませてもらうことにしました。

 ガタガタ!扉が開き白装束のお遍路さんが目に飛び込んできました。先客の僕に驚きながらも会釈して小屋に入ってきました。30代半ばぐらいの女性です。沈黙に耐え兼ね私から「雨やみませんね。」と話しかけると、ええと言ってうなずいたきり、気まずい沈黙が流れます。ひとしきり沈黙が続いたあと、彼女は「お坊さんですか?」と口を開きました。お遍路さんとは異なる装束と刈り込んだ頭を見て気づいたのでしょう。「はい」と答えると、「お話を聞いていただけませんか」彼女はポツポツと語りだしました-。

 彼女はビジネスマンなら誰もが一度は泊まったことのある有名なホテルのフロント係をしていました。四国のなかでも特にホテルが少ないエリアで、お客さんにはお遍路さんも多かったそうです。ある日笈摺を羽織り金剛杖を手にしたご夫婦とおぼしき男女の来客がありました。男性は焦った様子で、

「予約の山崎と申します。慣れない歩き遍路で家内が体調を崩してしまいました。時間には早いのですが、料金は出しますので部屋に入れていただけませんか」

 見ると奥さんの顔色が悪く息もあがっています。時計を見ると14時。チェックインの時間まではまだ1時間ありました。でも奥さんの様子がただごとではなく、彼女は「少々お待ちください。」と答えてフロント裏の上司に状況を説明します。まだ若い男性の上司は「あなた何年フロント業務をやっているんですか?チェックインの時間は15時。特例を認める権限は私にもあなたにもありません」と言い放ちました。彼女は上司に怒りを覚えながらも、逆らって仕事を失うこともできないし…といろいろな考えが頭をめぐり混乱してしまったそうです。

 フロントに戻ると、真っ青な顔でへたりこむ奥さんの前でご主人がしゃがみこみ「今横になれるからな」と声をかけているところでした。「申し訳ありません。15時まではお部屋をご準備できません」そう伝えるとご主人は「無理を言っているのは分かります。ただ家内を横にさせてあげたいだけなんです、どうかよろしくお願いいたします!」

 「ロビー奥の椅子でお休みいただけます…」奥には会議用の粗末な椅子がふたつみっつ並べてあります。ご主人は言葉も出ず、怒りに震えている様子が伝わってきます。そうしている間にも奥さんはみるみる顔色を失っていき、「お父さん…苦しい、苦しい…」とうわごとのように呟いています。

 「この時の私はどうかしていました」雷雨のなかで彼女はボソッと言いました。

 ホテルの自動ドアが開き、入ってきたお客さんがこの様子を見て「何やってんだ!救急車!」と叫びます。ハッとして救急車を呼び、間もなく救急隊が到着しました。彼女は、救急車に乗り込むご主人に何か声をかけた気はするが覚えておらず、ただ見たこともないような憎悪とも何とも言えない視線が忘れられないそうです。

 その後ホテルに夫婦が戻ってくることはありませんでした。胸は痛みますが、仕方なかったと自分に言い聞かせているうちに退勤の時間に。日はとうに暮れています。彼女は車に乗り込み、帰宅の途につきました。

泊まってはいけない四国のホテル

 決して交通量の多くない道で不思議なことが起こります。すれ違う車がクラクションを鳴らしたり、パッシングしたりしてくるのです。何を伝えられているのか分からず、イライラが募ります。

 「何なの!一体!」…それでも車を走らせていると、後方からパトカーが近づいてきました。「白の○○、左に寄せて停車して下さい」彼女は路肩に車を停めると警官にくってかかります、「速度は守ってます!免許だって…」彼女の言葉を遮るように警官のひとりが「落ち着いて下さい」と言いました。「通報があったんですよ」…通報?

「お遍路さんがしがみついた車が走ってるって」

 彼女は訳が分からないまま、身体がガタガタ震えたそうです。もう一人の警官は彼女の車の後ろを見て、「マフラーに何かつまってるな、煙がでて人に見えたとか?」とマフラーをほじくると、焦げた塊がでてきました。「何だこれ?」塊を触ると紙のようです。開いてみると、それは納札でした。「納札…?なんでまた」納札には名前を書く場所があります。焦げた納札には“山崎~~”と墨で書いてありました。

 彼女にはその後の記憶がないそうです。すぐに仕事を辞め、時間を作っては懺悔の巡礼をしていると話してくれました。夫婦のその後は聞けませんでした…けれど、彼女がお遍路をしていることから推して知るべしでしょう。彼女は悪人なのでしょうか。罪を犯したのでしょうか。私には分かりませんが、例のビジネスホテルに泊まることは避けてしまいます。

 どこから漏れたか知りませんがお遍路さんたちはそのホテルに泊まらないそうです。

※金剛杖 木製の杖。お大師様の化身とされ、宿に着いたら杖尻を水で拭う
※納札  おさめふだ、巡礼の際に寺院に収める。名前住所年齢を書く

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