イヨマンテとホプレニ

イヨマンテとホプレニ

 このお話は北海道にお住いの住職に聞いた話です。住職はアイヌの血をひいており、おじいさんの代からお寺を守ってきた人です。

 ある日来客がありました。「話を聞いていただきたいのですが…」瘦せこけた老人です。どこかで見たような気はしますが思い出せず尋ねると「数年前に家内の葬儀の際はお世話になりました」「ああ!」住職は目の前の老人のことを思い出しました。鉄砲の腕前にかけては右に出る者がいないと言われていた猟師です。元々は関西で暮らしていた彼は、数年前に奥さんと彼の地に移り住みました。そして数年前に自分のトラックで奥さんを誤って轢いて殺めてしまった…まさにその人でした。

 彼の妻の葬儀を務めたのが住職でした。確かまだ50代のはずなのに、目の前の彼は息も絶え絶えの老人です。住職は失念していたことを詫びて理由を尋ねました。

「家内とヒグマに許してもらいたいのです。お願いします…」

 言葉の意味が分からず聞き返しながら、住職は彼の奥さんの葬儀前に一度彼と会っていたことを思い出しました。地元の猟友会の代表から「ご住職、うちに猟のやり方が荒すぎる奴がおりまして、私たちの小言に耳をしません。この辺りの文化とか、獣も敬うとか…そのあたりを含んでいただけませんか」と言われたのです。聞けば彼の猟の仕方は、山道に獣のはらわたを撒いてヒグマをおびきよせ、大きな車で体当たりをして何度も轢き、発砲が許可された日の出とともに銃で仕留めるといった陰惨なものでした。

 北海道ではヒグマは畏怖されていますが信仰の対象でもあります。住職は頼まれごとを無下にもできず彼のもとを訪ねたのですが、「お坊さま、私が悪いことをしてるとおっしゃるならどうぞ警察に突き出してください」などと憎まれ口を叩かれ、イラっとしたんだそうです。ただそのとき、玄関まで見送ってくれた奥さんに「無茶するな、お前は寝ておけ心配いらんから」と言っている彼の姿に、家族には優しい男なんだなあと思ったそうです。目の前の男は話し始めます。

「ご住職、家内を轢き殺したのは間違いありませんが、アレは間違いなくヒグマでした」

ええ?驚く住職をよそに

「あの日…いつものようにはらわたを撒いて、罠を仕掛けて獲物を待ちました。小さなヒグマが来たので車で何度も轢きました。とどめを刺そうと銃を持って車を降りたら…家内が、家内が…!」

 そこからは嗚咽で聞き取れず、肩に手をおいて頷くしかなかったそうです。警察の捜査結果は事故として不起訴なのは小さな町中が知っていることでした。

 
「奥さんの供養、しっかりしましょう。ただ、ヒグマに許してほしいと言うのは?」

 尋ねると、男は首からさげた金属の筒を差し出しました。

「家内の骨を全部埋めてしまうのが忍びなく、歯を一本首からぶら下げていたのですが…」

 ネジ状のキャップをあけて出てきたものは人間のそれではなく、獣の牙でした。

「祟られていては成仏できません…」

 住職は青ざめながら手を合わせ、まずは奥さんのご供養そしてホプニレを行います。アイヌは育てたクマを神に捧げるときはイヨマンテ、野性のクマを仕留めた、あるいは怒りをかったときにはホプニレという鎮魂の儀式を行うのです。

 このお話はここまでですが、腕のいい猟師が夜とは言えクマと愛する妻を見間違えるでしょうか。クマが人を襲う恐怖は皆さんも想像がつくでしょう。しかし神としてのクマの怖さを…キツネやタヌキではなく、クマが人を化かし祟ることを知っておくべきかもしれません。

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