テル・エル・アマルナ 壁画

神さまと人間④ 量子場とエゴ

 人間は神に近づいていき、最終的には同一のものに戻っていくとしても、今の時点で神とイコールというわけではない。私たちが式でいう左から右への流れ(=分裂)にいるとき、私たちはどんどん神の力から遠ざかっている。だから、前回「自分だけが特別」ではダメだと書いた。自分のエゴを発揮しているのは分裂したままの状態だからだ。まして、私たちのようないわゆるスピリチュアルを仕事にしている人間が他人のエゴを加速させる手伝いみたいな本を書いてセミナーを開いて「あなたは特別だ」なんて言うとしたら、その人は少なくとも「空に入ったりチャネリングをしたりすることはできない」し、ましてや他人の量子場を動かせるわけがない。一は全、全は一。この状態を体験しなければ、神の視座から涙を流さなければ始まらないものだからだ。

 常にエゴのない状態の人間などおそらく地上にはいない。意識していようといなかろうと、私たちは三次元~五次元以上の次元を移動しながら生きている。胸の奥から言葉にならない感情が湧き上がってくるようなとき、私たちは五次元に在る。そして自分の思い通りにならない誰かを心の中で罵るとき三次元にいる。エゴは地球という三次元ないし四次元の中で生きる上で絶対的に必要なもの、私たちのキャラクターの一部であって「消さなければならない悪」ではない。意図的に次元を超えようとするなら、そのときに外せるようになればいい。

 空、ヴォイド、ゼロポイント、量子場…呼び方はどうあれそこに入るには、1つの小さな量子になって重力を使わなければならない。もっと先に行きたいならさらに「計測できないけれど存在するなにか」になる必要がある。次元を超えることができるのは重力だけ、これは物理的な事実だ。そして玉ねぎの皮を剥ききってエゴがはがれた状態でなければ量子にはなれない。だから自分は特別だとアピールしたり、誰かにマウンティングしてみたり、他人の目を気にしたりしているなら、その人は量子場には入っていない=次元を超えていない。空に入らなければ、少なくとも宇宙的な”神”とは繋がれない。繋がれるとしたら、まだエゴを多く残した…下手したら人間をコントロールしようとすることもあるような、空の手前にいる三次元ないし四次元の神だ。自分はわかった、これでいいんだという傲慢さが出たらすぐに空には入れなくなってしまう。

 生きがいを感じたり、ちょっとした願いなら簡単に叶うようになったり、自分のことを無条件で大好きだと言える状態で生きるためには先ほどの式で言う右から左の流れ、神へと戻る道を逆算する必要がある。スピリチュアル的な言葉で言えば統合への道だ。ひとつ手前の段階に統合が進むごとにちょっとした挑戦が現れて、次から次に新しい小さな扉が開いていく。その蓄積で、おそらく数多の輪廻転生の中で超えなければならない次の大きなゲートが開く。その鍵は自分以外の誰も持っていない。やり方を教えることはできても、誰かが代わりにやることなどできるはずがない…量子になるためには「他」のものは何一つ持っていくことができないからだ。だから必要なときにエゴをはがせる状態になって、他人の言葉や常識ではなく自分自身を生きる必要があるのだ。そのためにはまず徹底的に「自分」と「他」を区別できるようにならなければならない。その次の段階になって初めて、「自分」は「全ての他」を内包したすべてなのだという経験をすることができる。

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