島根県出雲市・猪目洞窟

島根県出雲市・猪目洞窟 黄泉の穴と呼ばれた縄文人の住処

猪目洞窟

〒691-0024 島根県出雲市猪目町1338

 令和3年7月の大雨の影響で2022年5月5日現在でも県道23号の猪目海岸から河下港付近が通行不可になっているため、西側の日御碕方面から入るか出雲大社の裏手から林道のような道をひたすら進むことになる(かなり怖い)。猪目洞窟と韓竃神社は地図上では近そうに見えるが、この通行止めのため直接行くことができない。韓竃に行く場合は出雲大社方面から一畑電車に沿うように走っている431号線を東に向かい、鰐淵寺の方から向かっていくことになる。

 黄泉比良坂を探していてこの洞窟のことを知った。古事記や日本書紀が事実をそのまま書いてあるとは思わないが、黄泉比良坂と呼ばれる「男性性と女性性、もしくは生者と死者が分けられた、いわば日本で最初に二元論が成立した場所」には何かあるのではないかと考えたからだ。松江にある黄泉比良坂にも行ったが、そちらの方は混沌とした感じのしない澄んだ場所だったので、こちらが本当の黄泉比良坂と言う人も多い猪目洞窟はどうなのか知りたかった。

 行く前にある程度どんな場所なのかを知っておこうと思ってネットで検索すると、心霊スポットのような扱いを受けていることと『シャーマンキング』という漫画でシャーマンになるための修業をする場所として描かれていること、夢に出てくると死ぬと言われていることがわかった。要は「怖い場所」だということだ。漁船の拡張工事をしたときに発見された洞窟からは当時の生活道具だけでなく、弥生から古墳時代にかけての人骨が十数体と副葬品が発掘されたのだという。

 猪目洞窟を正面から見て左側には看板があり、その横に石段がある。登っていくと出土した人たちのための小さな社があるので、まずここで挨拶をさせてもらってから洞窟に降りた。

猪目洞窟看板
猪目洞窟看板

 手前の海岸から洞窟の入口にかけては、漁船と船のための用具が雑多に置かれている。遺跡らしからぬ様子に少し驚いたが、古代の人々がおそらくは生まれてから死ぬまでを過ごしたであろう場所で、現代を生きる人々が生活を営んでいることが自然に重なり合っているということなのだなと思った。

 洞窟の手前左側にも小さな社があるので、ここでも洞窟に入らせていただきますと挨拶をした。この辺りで奥を覗いてみると、奥のほうにはまったく光が入っていないことがわかる。現代の日常生活の中ではちょっと味わえないほどの黒い闇が広がっていて、確かにこれは黄泉の穴と言いたくなるだろうと思った。同行していた密教僧の男性も「これは少し怖い」と言って途中で戻ってきたので、一緒に奥に向かうことにした。

猪目洞窟遠景
猪目洞窟入口
猪目洞窟内部

 奥に入っていくとどんどん天井が低くなり、足元に小さな水溜りが出来る程度に水が滴っている。奥行きは30メートルほどだが、これ以上進めないところまでくると下の方に一段低くなっている、人間なら横にならないと入れない高さの場所がある。おそらくはここが埋葬の場所で、食事などをしていたのが入口付近の広場のようなエリア、その途中にあって水が滴らないエリアが生活の場所だったのだろう。朝の日光が差し込む側に段のある場所があったのは、もしかしたら祈りの場所だったのかもしれない。天皇や権力に無関係な人々が暮らしていたこの洞窟の遺物は研究されることはなく、私たちもここでの暮らしを想像してみるしかないのだろう。

 一番奥のエリアで写真を撮ってみたら、なにかいろいろと映りこんではいたが決して悪意のある存在ではなかった。私たちはいわば黄泉の国から生まれて、今生者の地で暮らしている。私たちは闇から出て光にやってきたのに、なぜ闇を怖いと思ってしまうのだろう…そんなことを考えた。ここは死を恐れる人にとっては、おそらくとても怖い場所だ。だが例えば霊媒的な能力を持っているような人、死は魂にとってひとつの区切りでしかないと考えるような人にとってはとても優しいエネルギーの地として感じられるのではないかと思う。『シャーマンキング』ではないが、肉体の死が分かつことができない永遠性の場所、縄文時代から現在に至るまで、人々がある意味同じように生活を営んできた場所だ。二元性が生まれた場所は、生と死、老若男女、古代・現代などを内包する一の場所なのだなと思った。

猪目洞窟
猪目洞窟
猪目洞窟

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