丹生都比売神社

和歌山県かつらぎ町・丹生都比売神社 朱の女神と空海

丹生都比売神社

〒649-7141 和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野230
      JR和歌山線笠田駅からコミュニティバスで約30分(12月31日~1月3日運休)
      車で和歌山JCTから約40分・紀北かつらぎICから約20分

ご祭神

丹生都比売大神(にうつひめのおおかみ)
高野御子大神(たかのみこのおおかみ)
大食津比売大神(おおげつひめのおおかみ)
市杵島比売大神(いちきしまひめのおおかみ)

若宮 :行勝上人(ぎょうしょうしょうにん)
    気比神宮から大食都比売大神、厳島神社から市杵島比売大神を
    勧請した真言宗の僧侶
境内社:佐波神社(さわじんじゃ)、上天野地区の諸社を合祀した社

日本、〒649-7141 和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野230

高野山の麓にある丹生都比売神社は、天野大社とも呼ばれる朱が美しい神社だ。丹と名前につく神社は朱砂の取れる地域で祀られているが、ここは全国に180以上ある丹生都比売を祀る神社の総本社となる。空海が金剛峰寺を建立する際に神領を寄進したということで、かつては高野山詣での前に訪れる慣わしがあったと言う。

 本殿付近は女性的なエネルギーの強い神社で、本殿の両サイドには花が浮かべられた石の水入れが置かれていたりする。丹生都比売は瀧の女神として瀬織津姫に比定されることもあるが、ここでは朱(朱砂、辰砂、丹)の女神としての要素で祀られている。黒と白の犬を連れた狩人として空海を高野山に導いたという高野御子大神は丹生都比売の御子神とされる。

丹生都比売神社
丹生都比売神社
丹生都比売神社
丹生都比売神社
丹生都比売神社
境内社・佐波神社

 明治の神仏分離令で宗旨替えをした寺社は多く、場所によってはそのときの禍根を残していたりすることがある。だが丹生都比売神社と金剛峰寺は、近くにある丹生官省符神社と慈尊院同様、開山以来ずっと神仏をともに大切に考えてきた場所だ。高野山で修行する僧侶たちは今でも丹生都比売神社を訪れ、般若心経を唱えたのち「南無大明神」…神への帰依をも唱えるのだという。

丹生都比売神社
丹生都比売神社

 高野山との関係は、本殿向かって左奥に進んでいくとよりわかりやすい。石塔が並ぶ奥にある大きな石碑は「光明真言曼荼羅碑」と呼ばれ、光明真言(=南無大師遍照金剛)がすべて梵字(=オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン)で書かれている。多くの石塔は大峯修験者の碑で、空海も少年時代に入っていただろうと言われる大峯山に入る前に修験者たちが建てたものだし、光明真言板の横には脇ノ宿石厨子が置かれ、中には役行者の石像が納められているという仏教的なエリアになっている。

 神、仏、呼び方は何でも構わないが目に見えない力を私たちが求めるとき、それが何の教えによるものかなどどうでもいいのではないだろうか。高野山一帯に流れる大らかな空気感の中にこそ、そういった力が偏在しているように思う。

御影堂跡など説明版
光明真言曼荼羅碑など
光明真言曼荼羅碑など裏から
光明真言曼荼羅碑など
説明版
光明真言曼荼羅碑

 空海はおそらく朱砂の鉱床の近くに主要な寺社を建立している。高野山も例外ではなく、銅や水銀(=朱砂)が埋まっているし、四国の霊場も同様である。真偽のほどはわからないが、空海が訪れた、空海の手による仏像があるという日本各地の寺付近にも「丹生」という土地があり、至るところに空海の痕跡が残されている。

 空海は最澄とは異なり、私度僧として唐に渡った。当時で金数百両、現在の価値では数十億と言われる。これは本人が負担しているが、どこからその資金を調達したのかを考えたとき、まつろわぬ民と呼ばれる鉱山の利権を持っていた人たちの存在が浮かび上がってくる。当時の製鉄や鋳造技術は低く、多くの人が命を落としているような状況の中、唐から高度な技術を持ち帰ることと引き換えに資金を提供してもらったと考えられるのではないだろうか。だからこそ、丹生都比売神社は空海にとっても大切な場所…そのときの自分を創る助けとなってくれた人々の祀る朱砂の女神を彼らと同じように大切にしたのではないだろうか。

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