韓竈神社鳥居

島根県出雲市・韓竈神社 まさに素戔嗚尊の磐座

韓竈神社

〒691-0023 島根県出雲市唐川町408
一畑電車大社線・浜山公園北口駅から車で約20分
一畑電車大社線・遥堪駅から車で約20分
出雲大社から車、国道431号線・県道250号経由で約40分

ご祭神

素盞嗚命

日本、〒691-0023 島根県出雲市唐川町408

地図を見ると出雲大社からそれほど距離がないのだが、韓竈神社まではぐるっと回り込む必要があるのと、道路が細い上に舗装がされていない箇所が多いので実際には思いのほか時間がかかる。2021年12月11日現在、国道23号線は7月に起きた土砂崩れの影響で猪目町から河下町まで通行止めとなっているので、日御碕方面から北ルートを通って行く事はできない。

 最近はメディアで紹介されたということで人が増えたようだが、かなり斜度の高い石積みの段差を手すりを頼りに登っていくような箇所もあり、気軽に参拝できる磐座ではないので靴などの装備は注意しておきたい。社の手前にある岩の裂け目は幅が狭く(いろいろなサイトに肥満の方は難しいかもと書いてあるが、少し岩に登るようにして斜めに入れば通れると思う)、洋服やカバンは絶対に擦れる。御朱印は平日は鰐淵コミュニティセンター(島根県出雲市河下町720-1)、休日はもみじや商店(島根県出雲市河下町599−1)でいただくことができる。

韓竈神社
韓竈神社
韓竈神社
韓竈神社
韓竈神社
韓竈神社

 韓竃神社の祭神は素戔嗚尊ということになっている。駐車場から韓竃神社の鳥居を右に見た少し先には岩船とされる岩があり、素戔嗚尊の伝説について簡単な説明のついた看板が立てられている。古老伝では素戔嗚尊がこの地に植林法や鉄器文化を伝えたのだという。

韓竃神社・駐車場からの道
韓竃神社・岩船への案内板
韓竃神社・岩船

 大国主神を祀る出雲大社はかつて杵築大社と呼ばれており、平安時代から先代旧事本紀などで主祭神は素戔嗚尊ではないかと言われていた。中世に至り神仏習合が進む中、蔵王信仰(=修験信仰)を持つ鰐淵寺の僧侶たちによって杵築大社の祭神は須佐之男命(素戔嗚尊)に変えられ、大国主神に戻されたのは1667年、出雲国造家が神仏分離を主張し、大社内にあった仏堂や仏塔を撤去したことによるという。祭神が須佐之男命だった期間は鰐淵寺は神宮寺という扱いで、僧侶たちが社殿で読経を行ったり、江戸時代には杵築大社の運営等について寺社奉行とやり取りをしていたほどだったそうだ。『出雲国風土記』で出雲の国引きをしたのは八束水臣津野命だが、鰐淵寺の縁起では須佐之男命によるとされた。

 この期間に須佐之男命、素戔嗚尊が多くの神々の要素を取り込んである意味オールマイティな神のように思える現在の形になったのではないだろうか。一部ではこの祭神変更について鰐淵寺のせいとするような意見も見られるが、当時神仏習合は一般的な考え方であり、お互いにメリットがあったからその形になったはずだ。当時の杵築大社側は善で鰐淵寺は悪というような二元論で、その時代に生きていない私たちがどうこう言うべきことではないのではないかと思う。

 韓竃神社はこの鰐淵寺まで車で10分程度という立地もあり、祭神が須佐之男命とされていることには何か関係性があるのかと思い調べたが本やウェブでは情報が見つけられなかった。次回訪ねたときに地元の方たちに伺ってみようと思う。

韓竃神社
韓竃神社

 素戔嗚尊は新羅との関係性を取り沙汰されやすいが、調べていくと徐福に行き当たるので、出雲という狭い範囲で考えると”外部”の人間だったことは確かだろう。戦いやせめぎあいを続けてきた結果今の私たちが在り、その私たちはただ恣意的な角度から物事を切り取って善だ悪だとレッテルを貼っているに過ぎない。

 韓竃の社に至る前の「岩の産道」を抜けたとき、私たちはどう生まれ変わるのだろう。岩と、光と、木々と、虫や蛙たちが生き生きとしている韓竃神社は、何を祀っていようとただそれだけで魅力的だ。

韓竃神社
韓竃神社
韓竃神社

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