石尾神社磐座アイキャッチ

徳島県美馬市・石尾神社 ソロモンに至る鍵

石尾神社

〒777-0007 徳島県美馬市穴吹町古宮平谷
      JR四国・徳島線 穴吹駅より車で約1時間

ご祭神

須佐之男命
大山祇命
水波女命

日本、〒777-0007 徳島県美馬市穴吹町古宮平谷

 巨大な磐座で知られる石尾神社。かなり山の方に入ったわかりにくい場所にあるので、事前に場所を確認しておくことをおすすめしたい。県道259号線から林道杖立線に入るまではgoogle mapなどで確認できるが、私たちが行ったときは途中から電波が入らなくなった。

 林道杖立線に入ったら、とにかくヘアピンカーブのような角度で左に折れているところに注意。カーブになってはいるが曲がる手前に細い道があって、入り口に石尾神社の手書き看板が立てられている。私たちはこれを見逃したので、しばらく山の中をさまようことになった。二羽の雉に連れて行かれるように走った先でたまたま出くわした地元の人に行き方を教えてもらい、斜面の上から入っていくルートでどうにか磐座まで辿り着くことができた。裏口のあるところには発電機が置いてあり、斜面の木に白いペンキで横線が入れてある。急斜面ではあるが、裏からの方が磐座まですぐだと教えてもらった。

石尾神社看板
石尾神社裏入口・目印の発電機
石尾神社裏入口の斜面と目印の白いペンキ

 徳島から淡路島、和歌山にかけては、時のイスラエル駐日大使も認めた遺跡を含めて数々の遺構が残されている。徳島から北上すれば淡路島、東に向かえば和歌山となるが、このエリアにはユダヤの痕跡が色濃く残っていて、おそらくは石尾神社もそのうちのひとつだと考えられる。

 日本の霊的な側面について考えたとき、空海に行き当たる人は多いだろう。その空海はいろは歌の作者だと言われている。いろは歌は「ヤハウェの子イエス、咎無くして死す」と言う暗号が込められていると言われるが、これは空海がキリスト教徒だったということではない。教会的なキリスト教、一神教の概念に邪魔をされると見えなくなってしまうが、アクエンアテン(イクナートン、アメンホテプ4世)によるアテン信仰からの流れは本来「大元の神に帰る、神官によって毒された信仰ではなく自分自身の中の神と繋がる」ことだったはずだ。おそらくは迫害されたアテン神官たちから始まったアブラハムの宗教すべての大元がヤハウェであって、キリスト教だけのものではない。イエスはキリスト教の開祖として知られる存在だが、この言葉ではキリスト教を想起するのではなく「ヤハウェの子」という表現に注目すべきなのだと思う。

 古代イスラエルの王ソロモンが、神輿のような形をした聖櫃(アーク)、「契約の箱」を剣山に隠したという伝説はあまりにも有名だ。剣山に程近い祖谷エリアには、謎解きのような民謡「みたからの歌」が残っている。「九里きて、九里行って、九里戻る」から始まるこの歌は、アークを隠したことを示唆すると言われる。「祖谷」は「いや」と読み、ヘブライ語では神への呼びかけとなる。古代イスラエルはバビロニアとの戦いの前にアークを持ち出したと旧約聖書に記されている。「東の日出る国」「人間がかつて住んだことのない土地」に向かったのはイザヤ一行だとされる。古代イスラエルからやってきたイザヤたちが四国に辿りついたとすれば、付近で最も高い剣山は日本に於けるモリヤ山=聖なる山として捉えられたのではないだろうか。

石尾神社磐座と高野槙
石尾神社・社

 空海が巡礼した場所をなぞって設けられた八十八の札所は、石尾神社と剣山のある美馬市にも祖谷にも設置されていない。四国の中心付近にある剣山の周囲を大きく巡るのが八十八ヶ所の札所である。巡礼には時計回りの順打ち、うるう年に行われる反時計回りの逆打ちがある。右回りの螺旋は拡大=陽、左回りの螺旋が収縮=陰を表す。陰のエネルギーは陽より重い-光とブラックホールのように-ので、四年に一度と限定することで陰陽のバランスが取れることになる。「回る」ことでその中心部に集まるエネルギーは、陽でもなく陰でもない、完全なバランスの取れたゼロに近くなるように調整されているのだと考えられる。

 石尾神社は剣山の前宮として参拝者たちの行場だったという。石尾神社から杖立峠を通り抜けて剣山に至るという道程は、空海も通っていたものだろう。石尾神社には全国にある金鶏伝説-金の鶏が塚や岩の下などに埋められていて、鳴き声が響く-も残されている。鶏がここにあると伝える声を響かせていたもの、この地に埋められていたものは何か…剣山に至るために必要な「鍵」だったのではないだろうか。恐らくは古代イスラエルから伝わった日本の三種の神器は、剣と勾玉、そして鏡である。剣という男性性と勾玉という女性性、その二つを統合した「あなた」自身を映す鏡。自身を統合するため=ひいては世界を一に戻すために剣山に入る、その前にエゴを落とす・祓うための場所として石尾神社に「雨乞い」の磐座が存在していたのではないだろうか。

石尾神社・雨乞いの岩屋
石尾神社・雨乞いの岩屋

 この日は夕暮れになってしまって正式な入口から登るのはやめたのだが、来年の春に石尾神社と剣山にまた行くので、改めて空海の足跡を出来るだけ追ってみたいと思っている。

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